旧堺港界わい

Keishin Honda

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 それでも老女は遠海の後頭部に手を添えたまま、どける気配はない。少女はもう全く動かない。死んでいるようだ。老女は大きく息を吐き出すと、呼吸を整え、黙って遠海の様子を伺っていた。
 水面は老女が呼吸するたびに動く腕のせいで若干揺れていたが、それ以外に抵抗を受けることはなくほぼ静止に近い状態だった。
 老女はゆっくりとその手を離した。すると小さな泡が遠海の耳の端から浮かび上がってきた。やがて頭が微妙に左右に揺れると、両手がたらいを掴み、ゆっくりと顔を水中から外へ出した。
 遠海は、濡れた顔を拭おうともせず、呆然と水面を見つめた。そしてすぐに老女が立ちあがったのを感じて視線を動かし、両手をそれぞれの耳の下に当てた。
「あんたは、水中よりこっちの方が楽なのかい? ……大きくなったね」
 老女はそう言って、タオルを差し出した。
「向井田先生とこ、行くんやろ? もう帰ってはるんとちゃうか」
 遠海は、海里の祖母が家に鍵を掛け、孫のもとへ歩いていくのを見つめた。

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