旧堺港界わい

Keishin Honda

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 もともと私たち家族は、母の何を知っているというのだ。知りたいと思ったことが一度だってあっただろうか。今、初めて会うこの老人が、自分たちより、母のことを多く知っているからといって、どうして恨み辛みを言うことが許されようか。
 しかし、ショックであるのは事実だ。嫉妬もある。父への憐れみもある。やっぱりこの老人の存在を歓迎することはできない。
「これをお目にかけようと思いまして……」     
 戻ってきたかと思うと、一通の手紙を私に差し出した。封筒はすでに黄色くなっていた。宛名である 田嶋健一郎様と書かれた面を上に受け取ったまま、私は裏側の差出人の名前をすぐには見ることができなかった。すでに予感していた。裏には母の名前があるはずだ。
「三十年ほど前、私に宛てた、あなたのお母さんからの手紙です。私たちは互いに遺書を託していました。どちらかが先に他界したら、ということです。私は先を越されてしまった。でも、お母さんは、あなたがこれを知ることを望んでいましたから、私は今、成し遂げたいと思います」
 老人は、穏やかな口調でそう言った。やや真剣な面持ちが、私の手を震えさせた。それを知られないように、手紙を両手で持った。

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