慌てているのは腐れ縁で付き合っている彼の方で、毎日、「オレを貰ってくれ」とメールがくる。その日の新聞記事や私が興味を持ちそうな話題を集めては、歩み寄ってくる。
母はよく言ったものだ。
「好きな人と結婚できたら幸せよ。あなたがうんと言えば、あなたを好きな太郎くんはもっと幸せだろうけど」
結局、私は花嫁姿を母に見せてやることはできなかった。最後まで、どこなく頼りない太郎のことをいい青年だと言っていた。
母はそんな風にいつも家族を気遣っていたが、家族に自分の望みを押し付けることはなかった。欲のない人で、どちらかというと口数は少なかった。依頼心もほとんどなく、私が母からの頼まれた事は、この文通相手のことだけだった。それも自分の死後に形見の品を届けるという、それだけのことだった。
田嶋さんへの形見分けは、大事にしていた銀の指輪で、母はいつもそれを右手にしていた。母の母、つまり祖母の形見だったように思う。それを渡したい相手、田嶋さんという人は一体どんな女性なんだろうと想像を巡らせずにはいられなかった。