私はその物語を何度となく母に聞かせたことがあった。母が祖母から聞いた可能性があると考えたからだ。しかし、祖母は母にはこの話はしていなかった。こんなおとぎ話を聞かせるには母はすでに成長しすぎていたようだ。母がもしこの物語を知っていれば、孫に女の子が生まれたなら、話して聞かせたいと思っただろうか。
その母も三ヶ月前、決して長くない六十三年の生涯を終えた。眠るようだった。息を引き取る前に、母から言い付かった事柄を実行しようと考えていた矢先、一通の手紙が届いた。差出人は、まさに会いに行こうとしていた田嶋夕紀、その人からだった。宛名は、北村美和子、母の名前になっていたことから、彼女が母の死を知らないことが想像できた。他に共通の友人もいない。
田嶋さんは母の文通相手だった。私が生まれる前からだから四十年、いやもっと前からかも知れない。そうであるにも関わらず、私たち家族も、彼女に母の死を知らせなかった。それは母がそう望んだからに他ならない。
もしかしたら顔も知らない相手で、互いに素性を明かしていない。だから長い付き合いであっても、重要な知らせはしないのではないかと。綺麗ごとを並べ立てて、理想の別人を装う。現実逃避の骨頂だ。
現実逃避?