旧堺港界わい

Keishin Honda

   ※カテゴリーのタイトル別に1から内容が続いています。

明暗

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「殺したん? 殺してもうたん? 死んだんか? 野村、死んでしもたん?」 隣の男が目を輝かせた。細い目から正気が伺えた。本当に事件が好きなのだろう。「ほんで、どうなったん?」 男は持っていた新聞を膝から落とした。新聞よりも、この話に興味を持ったよ…

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開いたドアからは中年男が三人次々に降りてきた。ため息をついて、受話器を戻した瞬間、最後に女がひとり笑いながら降りてきた。「だからダメなんとちゃいますか」 棘のある声だ。男のひとりが女を振り返りながら歩を進めている。「じゃ、野村くん、明日頼ん…

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そのふたりは野村ではない。野村はまだ事務所にいる。 大きく息を吐き、受話器を一旦本体に戻した。壁の向こう側は一階のテナントが入っているはずだが、出入り口が見当たらない。 深閑としている。遠くに道路を過ぎる車の音が聞こえる程度だった。 エレベー…

43

ドアが開いた。スーツの男がひとり乗っていた。視線が合うことが、気まずく思えた。スーツの男はそのまま、玄関を出て行った。 再びエレベータは上階へ向かった。五階に止まった。しばらく表示が止まっていた。 オペレータたちが留めているように思えた。そ…

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正面玄関を入ると、大手警備会社のセキュリティシステムがあり、突き当たりに公衆電話が設置されていた。現金で掛けられる。時計は丁度六時を指していた。アメリカ屋のフリーダイヤルは、午後六時までのはずだった。手が勝手に受話器を取り上げていた。『大…

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アメリカ屋の代行をしている大阪屋は、中央区にある七階建ての建物の五階に事務所を置いていた。 電話では、アメリカ屋であると名乗るが、そのオペレータたちがいるのは大阪にある代行会社、大阪屋だ。アメリカの法人であるアメリカ屋を日本国内で名乗ってい…

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その時、小さな犬の甲高い鳴き声がした。すぐに男の足元に駆け寄ってきた。飼い主がリードを放してしまったのだろう、長く曳きづっている。洋服を着たおしゃれな仔犬だ。 男が片手で相手をしようとしたそのとき、飼い主の女が走り寄ってきて、リードを素早く…

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「アホやな、カワシマ……。余計なこと言いよって。アメリカにおることにとしいたらよかったのに」 隣の男は舌打ちをした。完全に物語に入り込んだ観客だった。オペレータに同情している。「鎌かけられたんやな。かなわん客に捕まったな」 この男は、罵られて…

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「アメリカじゃなくていいんですね?」 鼓動が高鳴っていた。『はい、宅配便の着払いでお送りください。申し訳ございません。それから宛名ですが、有限会社大阪屋までお願いします』「大阪屋?」『はい、アメリカ屋の国内代行をしております』 宛名はアメリ…

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『アメリカ屋でございます』 受話器からオペレータの声が返ってきた。野村ではない。声が柔らかい。「あの……、返品の住所を教えてください」 唐突にそう言った。『ご返品ですね。お電話番号をお願いします』 顧客を特定しようとした。怯んだが、「いや、さっ…

36

アメリカの育毛剤に対して、後に持つ興味をまだ持ち合わせていない頃のこと、アメリカ屋がどんな会社であるのか、ましてその返送先が何処であるのかなど、大して関心がなかった。アメリカに送り返す手間を考えると苦痛に思いつつ、カスタマーサービスに電話…

35

確かな根拠はなかったが、ページの中に国内の住所を懸命に探していた。しかし、サイト内に記されている住所はアメリカのものだけであった。育毛剤の差出住所と一致している。 それでも、あのオペレータが国内にいるという考えは揺るぐことはなかった。産毛が…

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女は、野村と名乗った。 何処にいるのだろうか。アメリカ屋はアメリカの法人なのだから、当然アメリカに会社があるはずだ。 ホームページに手かがりになりそうな情報があるに違いない。 パソコンの前に戻った。マウスをヒステリックに振ったが、開いていたは…

33

男はしししと笑った。新聞を読んでるだけあって、情報通である上に、予想外の言葉を放つ。 タイミングよくサルのキキキという笑い声が聞こえた。「て、いうか、光男さんが違法やねんな? 裁判所はプロやねんから、違法って言うわな。いや、でも何があっても…

32

「訴えられたん? アメリカ屋、訴えられたん? そう言うたら、ちょっと前の新聞で、育毛ケアの会社が訴えられた記事、見たで。全然生えへんからって訴えはってん。売った方も必ず効果あるって言うてないって言い張ったらしいけど、根負けして金払って和解し…

31

「ね、殺意を抱きませんか?」 そう言うと、ベンチの男はきょとんとした顔をした。「余計なこと言うからや。せめて電話切ってからにせなアカンわ。アホやな。ほんで、……どないなったん?」 返答は質問に取って代わっていた。もともとこの男は、罵倒が殺人未…

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『申し訳ございません。それは仰ってくだされば……』「ほんだら、送ってくれたらええやん」『今すぐには……』「だから、もう一回だけって言うてるやろ」『お客様、だから、違法なんです』 オペレータは強い口調になった。「もうええわ」 吐き捨てたものの、受…

29

少しの光が見えたと思った途端、『同じご住所には……』 好転はしなかった。「もう一回だけ、送って貰えませんか? 二十四本だけ、お願いします」『あいにく……』「どうしても?」『申し訳ありませんが』「そこを何とか」『お客様……申し訳ございません』「これ…

28

「それって、どういうことですか?」『個人輸入の範囲で承っておりますので、あまりたくさんご注文をお受けできないんです』 一ヶ月に一本使用するとして十二本で一年分。一年先まで注文できないということだ。頭が真っ白になった。「で、でも、これは、ボク…

27

『ミノキシジル1%のものですね? 弊社が取り扱っておりますのは、2%と5%になります』 いつものことながら、淡々としている。何があっても動じない。話を切り替え、未着の注文について尋ねた。 客からの催促に恐怖を覚え、自分のものを分け与えてしまっ…

26

「は、はい」『あ、あの、育毛剤のことでお伺いしたいんですけど……』 抑揚は雑だったが、口調は礼儀正しかった。『日本で、同じ成分の育毛剤が販売されるって聞いたんですけど』 そう言われて愕然とした。予想外のことに答えようがなかった。調べると言って…

25

「おっちゃん、今、在庫切れてるねん。到着が遅れてるみたいで。今から確認するとこやねんけど、後、どのくらいある?」 少し焦っていた。通常は十日くらいで届くが、遅れたらもう届かないこともある。アメリカ屋にその旨を伝えると、再送してくれるが、また…

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「光男、お客さん」 母親は眉を顰めながら、受話器を差し出した。『育毛剤、まだかな? もうすぐなくなりそうやねんけど。早くしてくれへんかったら禿げてしまう』「あ、すいません。確認してみます」 電話を切って、在庫を確認した。一箱も残っていなかった…

23

ホームページが日本語で、オペレータも日本人であったから、国内の店と勘違いしていただけだ。ホームページはすべて熟読していたが、本当のところを理解していなかったようだ。アメリカ屋とは立場が全く違っていた。アメリカ屋は合法で、自分は違法。 薬事法…

22

『ありがとうございます、アメリカ屋、野村でございます』 オペレータもいつも通りだった。「あ、あの……、新聞記事を見たんですけど」 おずおずと切り出すと、『ああ、再販のですか?』 返事が返ってきた。やはり煽りはあったようだ。『育毛剤は個人輸入の範…

21

日増しに野心が高まる息子に、忠告したのは母親だった。「すぐにダメになるから、就職して地道に働きなさい」 そしてその母親の言葉は、一ヶ月後、見事に的中した。 輸入代行を名目に育毛剤を再販していた会社社長が、大阪府警に連行された。雑誌に広告を出…

20

同級生と別れた後、急にまた否定的な考えが頭を過ぎった。少し自転車を走らせたが、すぐに立ち止まった。顔を上げていると、今まで見えていなかったものが自然と目に飛び込んできた。 電柱やガードレールに貼られているチラシだ。明らかに育毛剤の名称だ。一…

19

自転車を止め、声の方に振り返った。スーツ姿の男と女が立っていた。男は中学時代の同級生だった。話しかけられると、いつも適当に挨拶だけして、その場を立ち去っていたが、自然と足はその場に残っていた。「久しぶり。元気?」 同級生は明るい笑顔を向けた…

18

変わっていく自分に不安は何一つなかった。得意なことで現金が自然に入ってくるのだ。当然調子に乗った。 アメリカ屋の注意事項を肝に銘じ、営業出ることにした。効果の証明は自分自身。多少の忍耐力も身につけた。要領も得た。知らないことへの不安よりも知…

17

「おばちゃんも、髪の毛、薄くなってきてな……」 嫁は母親と顔を見合わせ笑った。 はっとする思いだった。女性用の育毛剤が存在していたことを思い出した。知っていながら、女性が髪の毛の心配をすることを想定していなかったのだ。女性は禿げないという根拠…

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