旧堺港界わい

Keishin Honda

   ※カテゴリーのタイトル別に1から内容が続いています。

宿縁

22

列車は見飽きた景色に突入した。家へ帰ることが、こんなにも懐かしく、そして安堵を覚えたことはない。車窓にくたびれた自分の姿が映る時間になる前でよかった。太郎とも視線を合わせたくない。 列車を降り改札を出ると、父が迎えにきていた。太郎は気を利か…

21

顔を上げると、目の前にいたのは、太郎だった。ずっと堺駅で待っていたのだ。つい、この勢いに流されそうになった。「オレはどうかな?」とばかりに目を白黒させている。「違う気がする」 私の確たる拒絶に、彼は泣く振りをしてうな垂れた。太郎は私を笑わせ…

20

私はそんな死に方を選んだ母を恨むことはありませ んでした。あなたと手紙を交換するうちに、母の気持ちが理解できるようになっていたのです。あなたは私です。それ以上でもそれ以下でもありません。 私は両親のような広い愛情を持ち合わせてはいませんが、…

19

父は知らずにこの世を去りましたが、母は知っていました。父が手紙を渡さなかったことを、本当は知っていました。父が亡くなるまで黙っていたのです 。 イギリス人が出航するとき、母は偶然港にいたのです。母は好きな人を自ら諦めたのです。そして来世で会…

18

彼が日本を発つとき、母は彼に会うことができませんでした。彼の親が母をよく思っていなかったせいです。母の家柄は悪くありませんでした。しかし、他国の血が混ざることを快く思っていなかったのです。 彼は父に、母への手紙を託しました。 しかし、その手…

17

あなたはそんな私の愚痴をずっと聞き続けてくれたから、母の恋の結末をお話しようと思いました。 父の死後、母がそのままにしてあった父の部屋の整理をしていたとき、父の日記を見てしまいました。父も彼を知っていました。と言うより、彼を母に紹介したのは…

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当然、彼が母にとってどんな存在だったの、当時の私にわかるはずがありません。外国人は珍しくありませんでしたから、ただ道を尋ねただけの通りすがりの人だったかもしれないというのに、私は何かに怯えて不安に思っていたのです。 小学生だったあの日、あの…

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私もそう思いました。だって、四十年以上も前に別れたあの人と、母がまた再会するとは思ってもいないでしょう。ましてあの人はイギリスの人で、母と同じように家庭がありましたから。それに伝統のある家柄の人で、とんでもないお金持ちだったし、母とのこと…

14

ゆっくりと裏を向けると、やはり北村美和子、母の名前があった。文字がどことなく若い気がした。「私が言葉で話すよ り、お母さんの声であなた自身がこれを読んだ方がいいと、私が判断しました」 私は背中を押されて、中身を取り出した。十枚近くあるだろう…

13

もともと私たち家族は、母の何を知っているというのだ。知りたいと思ったことが一度だってあっただろうか。今、初めて会うこの老人が、自分たちより、母のことを多く知っているからといって、どうして恨み辛みを言うことが許されようか。 しかし、ショックで…

12

あ……。 私は床に置いていた鞄に目をやった。 形見の品が、指輪であったことを忘れていた。相手が男なら意味が違ってくる。不愉快だった。渡したくないと思った。私が少し俯き加減でじっとしていると、田嶋さんがゆっくり立ち上がった。「ちょっと待っていて…

11

「母は、一度体調を崩して入院しましたが、退院してしばらくして、眠るように亡くなりました。苦しまずに逝ったのだと信じたい」 田嶋さんは黙って頷いていた。「入院したとき、母は先を予測していたのでしょう。それまであまり口にしなかったことを、多くは…

10

「男の名前では、ご家族が心配されると思い、娘の名前で手紙を送っていました。黙っていてごめんなさい」 胸がずしりと重くなった。笑いが込み上げてきて、怒りさえ覚えた。言葉は見つからない。 夕紀さんは、紅茶とケーキをテーブルにおいて、何か私に声を…

9

田嶋さんの家に着いたとき、ある意味で私の不安は消えたと言っていい。「よく来てくれました」 そう言って私を出迎えたのは、年配の男性だった。「父です」 田嶋さんは言った。「美和子さんのお嬢さん……お会いできるのを楽しみにしていましたよ」 懐かしいも…

8

堺駅を東出口から出ると、バスロータリーがあった。その辺りで待っているようにと田嶋さんは言った。 堺は初めてではなかった。日本最大の古墳、仁徳天皇陵がある。教科書で紹介されている文化遺産だ。鍵の形をした前方後円墳といえば誰しも記憶にあるだろう…

7

私は初めて母の気持ちになって物事を考えた。恥ずかしいことに母の気持ちを考えたことがなかったのだ。母はいつもそこにいて当然の人だった。個人の人格など考えたことがない。全く失礼な話だ。 いつだったか、 私が生まれる前のアルバムの写真を見たとき、…

6

日曜日、堺に向かった。太郎が心配してついてきているのを私は知っていた。本人は全く気づいてはいない。それが彼のいいところなんだと、母なら言うだろう。 早朝、彼からご機嫌伺いのメールが一通届いていた。今日は、母親の用事で出かけると返信しすると、…

5

母と同年代で、その時代その時代、便箋の上で同じ時間を共有してきた人。ファッションや好きな人のこと、それに結婚後は家族や親戚のこと、身体が思うように動かなくなっていくのを感じたときには、老いへの恐怖を話し合ったに違いない。私が親しい友人と老…

4

慌てているのは腐れ縁で付き合っている彼の方で、毎日、「オレを貰ってくれ」とメールがくる。その日の新聞記事や私が興味を持ちそうな話題を集めては、歩み寄ってくる。 母はよく言ったものだ。「好きな人と結婚できたら幸せよ。あなたがうんと言えば、あな…

3

それは愚考だった。母が現実を嘆いていたとは思えない。まして相手は女性で、取り繕う必要性もない。なにより相手の住所は堺市だ。ここ神戸からは海沿いに弧を描いて一直線。隠しても見え見えの距離で、文通など辛気臭いことをせず、いつでも会って話せる程…

2

私はその物語を何度となく母に聞かせたことがあった。母が祖母から聞いた可能性があると考えたからだ。しかし、祖母は母にはこの話はしていなかった。こんなおとぎ話を聞かせるには母はすでに成長しすぎていたようだ。母がもしこの物語を知っていれば、孫に…

1

新聞で過去の心中事件が取り沙汰されていた。愛し合う二人が、何らかの障害に勝てず、命を絶ってしまったのだ。今の時代では心中する前に駆け落ちするだろう。スマートフォンの時代だ。ロミオとジュリエットのように、行き違いもない。ソーシャルネットワー…

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