旧堺港界わい

Keishin Honda

   ※カテゴリーのタイトル別に1から内容が続いています。

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 アメリカ屋の代行をしている大阪屋は、中央区にある七階建ての建物の五階に事務所を置いていた。
 電話では、アメリカ屋であると名乗るが、そのオペレータたちがいるのは大阪にある代行会社、大阪屋だ。アメリカの法人であるアメリカ屋を日本国内で名乗っていないのには、何らかの理由があるのだろう。
 フロア案内には、有限会社大阪屋の名前があった。他の階は二、三のテナントがその階を共有していたが、五階に入っているのは大阪屋だけであった。
 敷地は百坪程度だろうか、それほど広くはない。大通りに面しているわけでもなく、人通りも少ない。しかし、土地柄、一本通りを隔てれば繁華街に直面する。
 建物は古くはないが、内装が施された後の汚れが目に付くせいか、新しいとも決して言えない。

 

40

 その時、小さな犬の甲高い鳴き声がした。すぐに男の足元に駆け寄ってきた。飼い主がリードを放してしまったのだろう、長く曳きづっている。洋服を着たおしゃれな仔犬だ。
 男が片手で相手をしようとしたそのとき、飼い主の女が走り寄ってきて、リードを素早く手にし、引っ張り戻した。そして、犬を抱き上げて、怪訝そうに走り去っていった。
 不快な顔をした。犬に触れて欲しくないような慌てぶりだった。
 その見てくれが世間からそう見られている。実際のところ、この男は世捨て人なのだろうか。
「気の毒やな。野村、殺されるわ。絶対、殺される。せやけど、そんなんで、殺されてたらエライことやで。世の中にはごろごろしとる。そうやろ? どうしようもないことが山ほどある。右の耳から左の耳や。関わったらアカン。災いが降りかかる。損するだけや。見て見ん振りが一番」
――この男は、警察とは縁がない。

39

「アホやな、カワシマ……。余計なこと言いよって。アメリカにおることにとしいたらよかったのに」
 隣の男は舌打ちをした。完全に物語に入り込んだ観客だった。オペレータに同情している。
「鎌かけられたんやな。かなわん客に捕まったな」
 この男は、罵られても衝動で人を殺めることのない、分別のある普通の人間だ。加害者に感情移入することはない。
 しかし、分別のある普通人であったとしても、必ずしも正義感があるとは限らない。現場に居合わせても、傍観者に紛れるだけの人間かもしれない。見て見ぬ振りをする。望んで世の中と関わらずに生きているのだ。目前で起こっていることも、現実とは受け入れない。警察にも通報しない。

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アメリカじゃなくていいんですね?」
 鼓動が高鳴っていた。
『はい、宅配便の着払いでお送りください。申し訳ございません。それから宛名ですが、有限会社大阪屋までお願いします』
「大阪屋?」
『はい、アメリカ屋の国内代行をしております』
 宛名はアメリカ屋ではなかった。日本にはアメリカ屋は存在しない。
「着払いで大阪の住所に、大阪屋さん宛に……」
『はい、こちらにお願い致します』
 こちら、と女は言った。
「失礼やけど、名前聞いておいていい?」
 女はカワシマと名乗った。
「野村さんも大阪にいてはるん? 野村さんの名前も送り状に書いとくわ」
『ええ、担当させていただいたのは、野村でございますね。今、席を外しておりますので、折り返しご連絡させていただきましょうか?』
「いや、ええねん。ありがとう。じゃ、送るから」
 慌てて電話を切った。大きく息を吐き出し、住所を書いたメモをかざした。
――野村は大阪にいる。

37

アメリカ屋でございます』
 受話器からオペレータの声が返ってきた。野村ではない。声が柔らかい。
「あの……、返品の住所を教えてください」
 唐突にそう言った。
『ご返品ですね。お電話番号をお願いします』
 顧客を特定しようとした。怯んだが、
「いや、さっき聞いたんやけど、聞き逃したから、もう一回……」
『かしこまりました』
 オペレータは機械的に了承し、アメリカの住所を言い始めた。
「いや、そちらが間違えて……送られてきて、国内の住所に……」
 恐る恐る伺ってみた。月日が過ぎて対応が変わっている可能性もある。
『申し訳ございません。弊社が間違えた商品をお客様にお届けしてしまったのですね。では、申し上げます。大阪市中央区……』
 大阪の住所を言い始めた。変わっていない。メモに書きとめ復唱した。

36

 アメリカの育毛剤に対して、後に持つ興味をまだ持ち合わせていない頃のこと、アメリカ屋がどんな会社であるのか、ましてその返送先が何処であるのかなど、大して関心がなかった。アメリカに送り返す手間を考えると苦痛に思いつつ、カスタマーサービスに電話をすると、国内で尚且つ全額アメリカ屋が負担するということにほっとした程度のことだった。記憶はそこまでだった。
――カスタマーサービスに直接聞くしかない。
 掛けたばかりであったから、気づかれないようにしなければ、と反射的に思った。野村でなければいい。オペレータは何人かいる。あの女と話さなければいい。野村という女、あの女の声ならまだ記憶にある。第一声で聞き分けられるだろうか。もし曖昧であれば、無言で切ってしまえばいい。
――名乗らず住所だけを聞き出す。

35

 確かな根拠はなかったが、ページの中に国内の住所を懸命に探していた。しかし、サイト内に記されている住所はアメリカのものだけであった。育毛剤の差出住所と一致している。
 それでも、あのオペレータが国内にいるという考えは揺るぐことはなかった。産毛が生える前、一度、注文した育毛剤とは全く違うものが届いたことがあった。そのとき、確か国内の住所に返送した。着払いで送るように言われた。
――宅配便の控えは?
 受領を確認した後、捨ててしまった。
 大阪市内の住所だった。就職の面接の帰りに持参しようと思ったのだから大阪に間違いない。どこの面接を受けたときだったのだろう。最寄の駅は……。

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