旧堺港界わい

Keishin Honda

   ※カテゴリーのタイトル別に1から内容が続いています。

21

 日増しに野心が高まる息子に、忠告したのは母親だった。
「すぐにダメになるから、就職して地道に働きなさい」
 そしてその母親の言葉は、一ヶ月後、見事に的中した。
 輸入代行を名目に育毛剤を再販していた会社社長が、大阪府警に連行された。雑誌に広告を出したことが、逮捕の理由だった。新聞沙汰にまでなった。
「光男、これって……」
 母親が顔を歪めた。店頭に貼った広告をすぐさま外し始めた。
アメリカ屋は……」
 パソコンを開き、アメリカ屋にアクセスした。アメリカ屋こそは、大元の販売店なのだ。しかし、ホームページには何の案内もなかった。いつも通り営業していた。
 自然と電話に手が伸びていた。

20

 同級生と別れた後、急にまた否定的な考えが頭を過ぎった。少し自転車を走らせたが、すぐに立ち止まった。顔を上げていると、今まで見えていなかったものが自然と目に飛び込んできた。
 電柱やガードレールに貼られているチラシだ。明らかに育毛剤の名称だ。一文字二文字を伏せているが、すぐに理解できた。後は携帯電話の番号が書かれているだけだ。目をつけるところは皆同じである。営業している個人、会社が存在する。
 青信号でペダルをこぎ始めると、左折していきた車の存在に、急ブレーキをかけた。接触真際、頭に突きつけられた言葉は、この二文字だった。
違法。
 薬事法に違反する。アメリカ屋の注意事項が頭に電光掲示板のように流れた。
 処方箋の必要な薬品を日本国内で再販するのは違法行為なのだ。しかし需要がある。それに狭い範囲の商売だ、誰にも見つかりはしない。まして客は暗黙の了解、やっとありついた仕事なのだ。

19

 自転車を止め、声の方に振り返った。スーツ姿の男と女が立っていた。男は中学時代の同級生だった。話しかけられると、いつも適当に挨拶だけして、その場を立ち去っていたが、自然と足はその場に残っていた。
「久しぶり。元気?」
 同級生は明るい笑顔を向けた。少し頭を伺ったようだが、むしろ隣の女の視線の方が気になった。
「彼女は、会社の後輩。営業に回ってて」
 女はぺこりと頭を下げた。可愛い顔をしている。普通に就職していれば、こんな出会いもあるのだろう。
「お前も営業?」
「えっ、まぁ」
「そうや、お前のとこ、理容店やったよな。資産の運用とか、相談あったら、頼むわ」
 同級生は名刺を差し出した。
「あ、名刺、……切らしてて、今から取りに行くとこで……」
 名刺はなかった。育毛剤のチラシには連絡先を印刷していたが、同級生にそれを手渡す必要はなかった。

18

 変わっていく自分に不安は何一つなかった。得意なことで現金が自然に入ってくるのだ。当然調子に乗った。
 アメリカ屋の注意事項を肝に銘じ、営業出ることにした。効果の証明は自分自身。多少の忍耐力も身につけた。要領も得た。知らないことへの不安よりも知っていることへの自信を持てるようになって行った。
 理髪店、美容院を中心に回った。すでにインターネットで購入している店もあったが、興味を示す店も何軒かあった。
 通りを自転車で走っていると、不思議な気分になった。頭を露出させ、視線を上げて道を歩くことがなかったせいか、自分の街の様子が違って見えた。天然の光は、部屋の中の電気と違って、明るく眩しかった。
「光男?」

17

「おばちゃんも、髪の毛、薄くなってきてな……」
 嫁は母親と顔を見合わせ笑った。
 はっとする思いだった。女性用の育毛剤が存在していたことを思い出した。知っていながら、女性が髪の毛の心配をすることを想定していなかったのだ。女性は禿げないという根拠のない考えがあったせいだろう。
 八百屋の嫁の頭を見ると、若干薄い気はしたが、男が気にしているレベルではない。しかし、女性は少しでも気になるのだろう。
「おっちゃんが使ってるヤツ、5%で強いねん。男の人でも被れることあるから、やめといた方がええで。女性用あるから取り寄せよか? 2%やから、優しいと思うねん」
 嫁も主と同じように目を輝かせた。
 人と会話することが初めて楽しいと思えた。アメリカ屋のホームページの書き込みを他人事に思っていたが、ひとつずつ理解できた。突き当たる問題をアメリカ屋はすべて知っていた。答えはすべてホームページに書かれてあった。

16

 頭が白くなったという者もいる。頭皮の汚れが落ちていないせいもあるだろう。アメリカ屋からは、油分を落とす、その育毛剤用のシャンプーを紹介された。それを勧めてみたら、今度はそのシャンプーには育毛効果はあるのかと聞かれた。単に洗浄効果しかなかったが、そのシャンプーを併用することで、育毛剤の効果が増すと考える者もいた。育毛への限りない執念が感じられる。これも共有できる思いだった。
 煩わしいと思うこともあったが、自身が継続していることだ、立場は同じ側なのだ。
 当然、クレームもあれば、喜びの声もある。この代行業を辞めようとは思わなかった。
「光男、ちょっと来て」
 夕方、母親に呼ばれて店に出て行くと、八百屋の主の嫁が来ていた。
「光っちゃん、あの育毛剤、おばちゃんが使ってもいけるかな?」
 一瞬拍子抜けした。何を言っているのかが、すぐに理解できなかった。

15

 ミノキシジルという成分が脱毛防止の役割を果たしている。臨床結果では、継続が必要とされていた。止めると元に戻る。
 頭皮のかぶれにクレームをつける者は、説明書を読んでいない。痒みやアレルギー反応は、最も一般的な副作用であるされている。多量のミノキシジルは低血圧の原因となる可能性もあるし、一般的でないものでいえば、手、足、顔の痺れや痛み、浮腫み、性的減退の症状まで報告されている。それを承知で、使用を続けるかどうかは、本人の自由だ。産毛の背景には、たくさんのリスクを負っているのだ。
 逆に説明書を読んでいる者は、効果について指摘する。頭頂部の脱毛症のみに効果が見られ、前頭部、額の生え際における効果が確認されていないという点だった。電話注文の際に、アメリカ屋のスタッフに尋ねてみたら、アメリカ屋に寄せられる客の声の中には、前頭部に効果が現れた者がいるとうことだった。しかし、個人差があって判らないと付け加えられた。それが実際のところだろう。

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